夕暮れの裏庭から

思い出とか、考え事とか、いろいろ。

「それでも」から始める

「人生はそれでも続く」という新書を読んでいる。ある街まで出かけて、帰りの電車が手持ち無沙汰だったから買ったものだ。

書店に入ったときは同じレーベルの別の本を探していたのだが、どうにも見当たらなかった。そんなときにタイトルが目に入り、「それでも」という言葉が直感的に鮮烈で、その本を手に取った。結局当初探していた目当ての書籍はなかったのだが、妙に満足した気になってその店を出た。

書いてある内容は読み応えがあるのだが、それはさておき、なぜ「それでも」という言葉に一瞬目が留まったのだろう。そう考えたときに、「それでも」という言葉の持っている強さ、もうすこし焦点を絞れば「底堅さ」を欲しているからだという気がした。

実際、日常のなかで望みは叶わないことが多い。妥協することもしばしばある。しかし、そういうときにこそふと、自分にとって何が譲れないことなのか、あるいは捨てきれないものは何かが浮き彫りになる。そこで自分とその何かをつなぐのは「それでも」という接続詞なのだ。その言葉で担保された願いや意志は、諦念によって洗礼を受けてもなお残っているものである。だから、他の消えていった望みよりも切実で根強い。しかしそれがまだ諦念の影からは遠くないことも確かである。

自分の中にそんな埋み火のような気分があって、タイトルが目に止まったのだと思う。