夕暮れの裏庭から

思い出とか、考え事とか、いろいろ。

極私的映画談義

趣味というのは、ぼくにとってひっそりと作っている箱庭のようなものだ。自分の思い出や思い入れの対象を集めているだけだから、誰彼なしに共有するものではないし、脚光を浴びて誰かが訪れてくることを望んでもいない。ただし全く誰にも触れさせたくないものというわけでもなく、その情景を楽しんでくれそうな相手は歓迎しているし、試しにそれを切り取った写真を見せて反応をみることもある。とはいえ、昔から学校や職場で自分の趣味や休日の過ごし方についててらいもなさげに語っていたり、プロフィールの趣味欄に抵抗なく自分語りを載せている友人や知人を見ていると、自分とは異質な何かを見ているような気になることがある。

もっともそんなぼくだが、それこそ職場や学校で自分の趣味について答えざるをえないシチュエーションに出くわすことがある。そんなときは箱庭の中からいくつかトピックを切り抜いてくるわけだが、相手が全くこちらと接点を見いだせない話ばかりをしても仕方がないので、まだ会話が続きそうな「映画鑑賞」というワードを載せる。そうすると、大概次の返しが来る。

「好きな映画は?」

さて、これがまた厄介なのだ。

もちろんこちらが会話のフックを作ってしまっているのだから、ちゃんと答えるしか仕様がない。だがどうしてぼくがこの返しに乗り気ではないのかといえば、本音と建前が完全に別れているのだ。しかもそれは単純に2階建て構造というわけでもなく、1階と2階のメニュー表が完全に別れていて、しかも2階のメニュー表には裏がある。

まず、1階のメニュー。これは高畑勲監督の「かぐや姫の物語」だ。ぼくとしては、この層はまだソフトドリンク付きのランチを出しているくらいのつもりであるが、当然ランチとしてはこの上なく絶品だ。ごく数名を除いてほとんどの相手には、ジブリの名前が人口に膾炙しているおかげで会話上のワードとして飲み込んでもらいやすいこともあり、この作品で返す。

では2階の表メニュー。これは岡本喜八監督の「ジャズ大名」。ここでは酩酊する味わいが入ってくる。多分この作品で答えたのは記憶にある限り2人で、1人は一緒に観た。作品については実際に鑑賞してもらうのが一番早いから語らない。だが、ぼくはこの作品を何度観ても朗らかに酔い、憑き物を落としてきた。

さて、いよいよ2階の裏メニューとなった。これもまた岡本作品だが、「肉弾」である。初めて観たあとの、他の映画の持っている衝撃とは全く違うありかたで深く刻まれた叙情的な虚無が、ぼくの中からずっと離れない。人間の「あいつ」は「たいしたことはない」事に巻き込まれながら学び、悩み、恋をして、「豚」になり、「牛」になり、「神」になる。それはきっとあの時代ならば、特別なことではなくてどこの誰にでもありえたことなのだ。しかしそんな「あいつ」の身の上に起きたありふれたことが、きっとその時代に生きていたのならぼくだって、どこにでもいたかもしれない「あいつ」たちの一人だったはずだということが、ずっと胸に残っている。この作品についてだけは、まだ誰とも面と向かって話したことがない。