夕暮れの裏庭から

思い出とか、考え事とか、いろいろ。

ゲームが、逃避の目的地ではなくなったいま

この10年と少し、ほとんどゲームに触れずに過ごしてきた。

何かの信条があったというわけではない。

だが、それがぼくにとっての逃避の目的地ではなくなったことが絡んでいると思う。

 

冒頭からああ書いたものの、それまでは暇さえあればコントローラーを手にして画面をにらんでいた。物心ついたころに家にあったのは、スーパーファミコンゲームボーイだったと思う。それに始まってGBA、DS、Wii、64、PS、PS2……全部を思い出すことはできないものの、自分で買ったもの、それから親の実家や親戚の家からの貰い物も併せると、90年代末からゼロ年代にかけて流通したハードはそのほとんどが家においてあったはずだ。ソフトもマリオに始まり、ポケモンゼルダドラクエ、FF、無双、三国志……他にも数え上げればきりはないが、今も続くシリーズものとして流通している作品群のどれか一作には触れているし、日がな一日ひいては夜を徹して画面の前にいることも珍しいことではなかった。

では、そんなぼくがなぜ今となっては全くゲームに触れなくなったのか。

ひとつには、単純に割ける時間が減ったことがある。中学校に上がった初めての夏ぐらいから、部活動や塾が本格的に生活のウェイトを占め始める。中学のロボコンや高校の吹奏楽に実際かなり没頭していたし、自分で言うのものなんだが学校の成績は同年代の大半よりも優れていたから、ゲーム以外の時間が充実していたのは確かだ。

だがそれだけでは、時間が有り余るほどあふれていた大学生になって、ゲームに戻らなかったことに説明がつかない。

そのころには自分でお金も手にしていたから、多少遊べる余裕はあった――しかしその大半は本や映像ソフトに流れ、あるいはあまり多くはない、しかし実感として確かで深い何人かとのつながりのために消えた――そう、ぼくは拡散、もしくは分散と名づけられるようなことを求めていなかった。何の分散か? 自己の分散のようなものだ。見知らぬ誰かにかつ誰にでも、初めて会った時からさよならするまで当たり障りなく接することができるほど、自己を薄く切り分けること。どの角度から見ても透き通っているように、陰りのない自己を演じること。ぼくはそれを嫌ったのだ。だからサークルやゼミにも顔を出さなくなり、SNSも早々に放り出した。ぼくが帰ろうと思ったとき、ゲームはブロードバンドで世界中に開放され、薄いつながりの匂いがする場所になっていて、他者の目から逃避し、傍若無人に没頭しても咎められない場所ではもうなくなっていた。

 

もう一年と少し前くらいに、実家の近所のリサイクルショップにいる姿を知人に見られていたことがあった。その場では向こうから話かけられることもなく、ぼくもそのことを後から聞いたのだが、かなり長い時間レトロゲームのコーナーを眺めていたらしい。暇を飽かせて弟について行っただけだったから、何をしていたのかも覚えていないのだが、きっと意図せずともそこに気を引かれていたのだろう。

おそらく今後それが生活に入ってくることももうないとは思うが、ぼくのゲーム史はそんな顛末である。