夕暮れの裏庭から

思い出とか、考え事とか、いろいろ。

Sさんの話(前編)

レディオヘッドの『KID A』を貸してくれたSさんは、いまどこにいるんだろう。

初めて出会ったのは、大学3年、ゼミの初回だった。2016年の4月のことだ。

取り組みたい研究主題がなかった僕は、同じ文藝サークルにいた仲の良かった先輩のつてで、半ばそこの教授であるY先生に拾ってもらうような形で研究室を決めた。春休みのうちに、教授と学生メンバーで食事に行ったのだが、そのときにはSさんだけ不在だったので、妙にぎこちない出会いだった。

「寂しそうな人だな」

失礼ながら、それが正直な第一印象だった。口数がとても少ない男性で、どことなく、他者とのつながりを諦めているような感じがある。実際、友達は少なかったと思う。

ただ、「冷たい人」という印象は全くなかった。むしろ、こちらの心の領域、踏み越えてはいけないラインをいつも先回りして気にしてくれているような、気心の優しい人……それゆえに、この人は他者を距離を取っているんじゃないか。そんな情を感じた。

僕とほかのゼミ生はすでに顔が知れていたのだが、Sさんや、のちにこのゼミから一緒に大学を卒業することになるTという同期も含めて、改めて自己紹介をすることになった。ただ、Tはオーケストラに所属していて、そこの上級生にゼミの先輩がいたこともあり、和やかな雰囲気がもうできていたのだが。

Y先生が入れた紅茶をすすりながら、Sさんはどことなく恥ずかし気に、ロックが好きでギターが趣味だと言った。本人はあまり多くを語らなかったが、当時ボブ・ディランノーベル文学賞を取るかどうかという時期だったため、その話題を先生が振ると、Sさんはまんざらでもないようにはにかんだ。

僕は、この人になら話せるかもしれない、やっと話せる人に巡り会えた、と思ったことがあった。もっとも、初対面でそんな風に、勝手に親しみを抱いてしまうのはこの人にとって失礼だろうか? そんな気恥ずかしさも含んでいたが、ゼミからの帰り道、半ば思い切った心持ちで告げてみた。

「チャボ、好きなんですよね」

その当時の大学生で、少なくとも自分の周りはチャボなんて誰も聴いていなかった……もっとも、これは大学を出た今でもそうなのだが。とはいえ、チャボは玄人好みにしても、あの、ひとつの時代を作ったとすら言ってもいい清志郎のカリスマだって、当時のエンタメからするとすでに隔世の感があった。もちろんそんな状態だから、RCすら、もう誰も覚えていないような顔をしているし、ましてや当時の大学生が触れるには古すぎることは否めないだろう。だが、僕はあの低く唸るようなメロディとベースラインが、斜に構えて吠えるようなヴォーカルが、そしてグルーヴからふと抜け落ちて解放されるような安らぎが混ざっているチャボの曲を、夜な夜な聴いている時間が幸せだった。

「よかったらおいでよ」

Sさんは、ややうつむき加減に目を逸らしながらだったが、自分の下宿先に来るよう誘ってくれた……それが嬉しかったからなのか、あるいはそこには寂しさも混ざっていたような気もするのだが、ともかく僕は呆気に取られるような意外さと共にお邪魔することになった。

玄関ドアには、その日の朝刊が刺さっていた。

「新聞、読むんですね」

物珍しくて、思わず口にしてしまった。今でもそうだが、もうすでにその頃から、大学生にとって「紙の新聞を取る」という行為は辞書から消えていた。テレビのニュースを見るということも、絶えかかっていたと思う。欲しい情報は、ネット記事の見出しだけで得た気になる。そんな時代に塗り替えられつつあった。

利に聡いとか、地頭が切れるとかとは別の、もっと繊細で、時間をかけて円熟するような知性を端的に感じた。

あえて誰とは言わないが、一面には、時の最高権力者の会見をしているさまが大写しとなっている。

「どう思う?」

Sさんは、その人をにこりともせず一瞥するなり、僕に尋ねた。

「やり口が好きじゃないです」

我ながら曖昧な物言いだと思うが、僕もその人に、反感はあった。具体的な政策で、というよりは、もっと情的な部分で……その人自身とその周辺が、行為なり発言なりに整合性が取れないまま、弁明もなく、かつ時に美辞麗句を述べ立てて突っ走ってしまうというのが、どうにも毒々しかった。糖衣のような柔らかな表情と声色に乗せて、その実下々の者は指を咥えていれば結構と言わんばかりの、虚無が振り撒かれているような気がしていたのだ……もっとも、僕自身の立場も変わったいまになって顧みれば、それは政治的に有効な処世術だったと認めざるを得ないのだが。

Sさんは、「うん」とだけ僕に返すと、リビングに案内してくれた。

(後編に続きます。)