夕暮れの裏庭から

思い出とか、考え事とか、いろいろ。

一九七八年の「飢餓地獄」

何気なく現代に生きていて、一種の娯楽として、言いようによっては「暇を潰す」という形で映像を消費しているだけなのに、時々不意打ちのように画面との関係が切迫させられる瞬間がある。しかもそれは、初見に限ったことではない。

 

大河ドラマ黄金の日日』(作:市川森一)の主人公・助左(演:市川染五郎松本幸四郎松本白鸚)は鳥取で籠城を続ける吉川経家(演:浜畑賢吉)に城下で偶然に出会い、飢えの限界の中で嘆き、こう訴える。

 

「私は昨日それよりももっと恐ろしいものを見たのです。人が人を喰うておったのです」

 

黄金の日日』を鑑賞するのは、確か四年ぶりのはずだ。初めて観たのはぼくが大学を出て、定職にもつかず、かといってはっきりと何者になろうともせず――正直に言ってしまえば故郷から逃げるようにして、言い訳めいた停滞を許してもらいながら――とある街のとある家の世話になって過ごしていたころのことである。ぼくは、このこともまた別の機会にでも書こうと思うが、ある人から祝福のように、しかしそれはある意味では呪いのように刻まれた『市川森一』という名前と向き合う――という名目で地に足の着かない現実から目をそらす――ために、つまり自意識の形を確かめるように切実に、そしていまになって振り返れば所在なくドラマを観ていた。

当時も、そしていまでも、市川の書く台詞や立ち回り、そしてほんのわずかな手がかりをもとにして理の通った空想を構築する力には遠く及ばないばかりだ。もちろんそんなことは改めて確かめなくてもわかりきっているのだ。しかし前回は見たときには――もちろんドラマ運びのジャンクションとしては効果的だが、それ以上という意味ではなく――見流していたはずの台詞から、それまで全く考えたことのなかった概念が急に降って湧くような衝撃を受けた。

 

極限状態で人が人を、しかも同胞同士を喰いあう。

その経験を生きた層が、視聴者の間に無視できないほど多く存在したのではないか?

 

奥崎謙三が『ゆきてゆきて、神軍』でその憤りを爆ぜさせたのは一九八七年のことだから、きっとこの助佐の一言によって誰にも語らずにいた秘密を、虚を衝かれるようにしてなぞられた日本人――特に男――は少なくなかったと思う。

このドラマが放送されたのは、一九七八年のことである。敗戦からは三十三年が経っているが、仮にその時二十歳前後だったとしたら、引き揚げた旧軍人たちは五十代半ばになっている。そのくらいの壮年男性というと、まさに大河ドラマの視聴者層と重なるのだ。

 

別にぼく自身強く主張したい政治的な立場や、意見の表明があるわけではない。だから、これ以上のことを述べる気はないし、論考的に掘り下げようとも考えていない。

しかし、そんな事実があったこと、そして――もちろん推し量るしかないのだが、しかしきっと確信犯的にこの台詞を書いた――市川の胆力におぞましさすら覚えたことだけは、書き留めておく。